庚申街道を歩く その2

2012年1月27日(金)

現在、あびこ筋の1本西側の西田辺・長居方面へ向かう道を地元では「庚申街道」と呼んでいる。 街道沿いは常盤文教地区として小中学校や専門学校などが多く見られ、普段から人通りが多い。

ところが、本来の庚申街道は桃ヶ池から東に向かったわけで、 街道の跡を辿っていくと大和川の堤防の道を行き、平野区長吉川辺まで至ることが分かった。

すでに四天王寺・庚申堂を出て松崎町に至り、あびこ筋から離れて市立工芸高校から桃ヶ池に至る道 (下高野街道と同じ道)を歩いているので、今回は、その桃ヶ池からスタートすることにした。




地下鉄谷町線「文の里」7番出口




桃ヶ池(元は股ヶ池だったはずですが‥)公園

池そのものも、古くは「股が池」と表記していたが、昭和の初め頃から、現在の「桃」の字を使うように定着したようである。 大正期に開業した南海電気鉄道平野線の駅名として「股ヶ池」が、かつての表記をそのまま使い続けられた。 そのチンチン電車の乗客であったことが「股ヶ池」を記憶の底に留めさせていたのでしょうか?





桃ヶ池換気塔(地下トンネル内の換気のため)




松虫道の地下30mのところに地下トンネル(平野川調整池)がある




桃ヶ池から(南に向かう下高野街道と分かれて、東に向かい)北田辺に入る




蔵を持つ旧家があり、街道っぽい感じがする




友愛センター北田辺




駒川に架かる北田辺橋




このまま進むと今川にぶつかる




今川沿いに南へ歩く




今川から離れて(左に見えるポストのあたりが東住吉西今川局)阪神高速の高架を潜る




針中野の狭い道を進む




(西の山坂神社と並ぶ)西の中井神社に面している。
ここから南西にカーブする細い道を進むべきであった。




湯里住吉神社




旧住道共同墓地で南に曲がる




中臣須牟地神社




大和川堤防に上る階段が見える




いつもの堤防の道が庚申街道、府道179号線であるとは知らなかったな。 なお、平野区長吉川辺町で古市街道と合流していたとのことである。 (明治橋まではすでに歩いたことがあるので)今回は高野大橋までとする。