現在、あびこ筋の1本西側の西田辺・長居方面へ向かう道を地元では「庚申街道」と呼んでいる。
街道沿いは常盤文教地区として小中学校や専門学校などが多く見られ、普段から人通りが多い。 ところが、本来の庚申街道は桃ヶ池から東に向かったわけで、 街道の跡を辿っていくと大和川の堤防の道を行き、平野区長吉川辺まで至ることが分かった。 すでに四天王寺・庚申堂を出て松崎町に至り、あびこ筋から離れて市立工芸高校から桃ヶ池に至る道 (下高野街道と同じ道)を歩いているので、今回は、その桃ヶ池からスタートすることにした。 |
桃ヶ池(元は股ヶ池だったはずですが‥)公園 池そのものも、古くは「股が池」と表記していたが、昭和の初め頃から、現在の「桃」の字を使うように定着したようである。 大正期に開業した南海電気鉄道平野線の駅名として「股ヶ池」が、かつての表記をそのまま使い続けられた。 そのチンチン電車の乗客であったことが「股ヶ池」を記憶の底に留めさせていたのでしょうか? |
いつもの堤防の道が庚申街道、府道179号線であるとは知らなかったな。 なお、平野区長吉川辺町で古市街道と合流していたとのことである。 (明治橋まではすでに歩いたことがあるので)今回は高野大橋までとする。 |