阪急神戸線に乗って夙川駅で降りたのはさくらの季節だった。夙川沿いに苦楽園まで歩いたのだった。
今回はうんと海側に寄った阪神神戸線で阪神西宮駅に降り立った。本当に、文学と酒の香りがするのだろうか?
ところで、今回のイベントとは何の関係もないが、地図に見えている阪急今津線が映画『阪急電車』の舞台である。 こんなにも近くにありながら、まったく違ったドラマが展開していることが不思議だ。 |
西宮神社(えべっさん)から始まり、西は夙川公園、南は御前浜公園(香櫨園浜)、東は宮水発祥の地まで 割りとよく歩いたと思う。これまでのガイドさん以上に、歯切れよくしゃべる方で、足も思ったより速い。 それだけの広さを持ったコースだったように思う。 |
西宮神社と表大門(赤門)。表大門は豊臣秀頼の寄進によるものという。その表大門と総延長247mの大錬塀は国の重要文化財に指定されている。 素朴な概観の大錬塀は室町時代のものとある。阪神大震災で被災したが、旧来の技術を用いて再現された。 |
本えびすの1月10日午前6時より、表大門の開門とともに走り参りを行う習慣があり、福男を選ぶことで有名な神社でもある。 写真はその走り参りの道である。2つの大きなカーブをどれだけう上手くこなすかで、勝敗が決まるようだ。 |
作詞家岩谷時子さんと村上春樹氏の通っていた浜脇小学校である。
岩谷時子さんはわれわれにはお馴染みの人で、その代表作は、ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」や加山雄三「君といつまでも」である。
京都で生まれた村上春樹氏は父(甲陽学園の国語教師)の勤務の関係で、西宮に移ってきたようだ。 その浜脇小学校もマンモス校であった訳で 「人のいい山羊」とともに香櫨園小学校への集団転校を余儀なくされたようだ。 中学校は芦屋にあり、地元の進学校、神戸高校から早稲田大学へと足早にこの地を去っていったようだ。 ただし、幼いころに遊んだこの西宮のことは、彼の作品の随所に出てくるらしい。あはは‥本屋さんで立ち読みする事を目論んでいる。 |
元「松竹梅酒造」の酒蔵であったとか、現在は何のかかわりもない、ただの木材置き場となっていた。 この建物の南側の通りを「酒蔵通り」というが、この他に酒蔵などひとつも見ていない。 |
夙川沿いの道を南に歩いた。桜の頃もいいだろうが、新緑の頃もなかなかいいと思った。 自然がすばらしい、静かな散歩道コースとして推薦したいところだ。 |
夙川に架かる葭原橋である。海に近いせいかどうか、川底も綺麗で、水も透明である。 本来なら「よしはらばし」と読むはずだろうが、橋の欄干には「あしはらばし」となっている。 桜の名所であり、春樹少年の遊び場でもあったようだ。 |
対岸にそびえる病院が西宮回生病院である。『火垂るの墓』に登場する病院である。 |
西宮砲台である。勝海舟の献策で今津、西宮、和田岬、舞子に巨大砲台が造られた。 一度、試しに撃ってみたところ、砲煙が立ち込めて何も見えず、まったく実戦に向かなかったという話である。 高さ12m、周囲53mもある無用の長物だが、国の史跡に指定されている。 |
西宮ヨットハーバーである。ここから堀江謙一が、わずか5.8mのヨット「マーメイド号」で出航した。
94日かけてサンフランシスコまで渡り、世界初の太平洋単独無寄航横断に成功した港である。
新西宮ヨットハーバーが完成した今となっては、こじんまりとしたヨットハーバーに過ぎない。
当時の日本のマスコミは蜜出国の犯罪者扱いだったが、サンフランシスコ市長ジョージ・クリストファーは 元大統領アイゼンハワーに相談したようだが、 「コロンブスもパスポートを持っていなかった」と入国を許可し、名誉市民の称号も与えたようである。 その決断こそ、称えるべきものである。 前例に従うだけが能ではない。新しい事態にいかに対処するかは、いつの時代にも問われている。 |
日本人が初めて建造、居住した洋館(旧辰馬喜重郎邸の案内) |
洋館の位置と白鹿クラシックス。「クラシックス」とは「蔵がSIX(6つ)」の意味だそうだ。 |
白鹿記念酒造博物館 |
宮水発祥の地碑 |
樽を積んだ大八車を通った道の敷石は、こんな風に磨り減っている。記念碑として立てるあたりが斬新であると思った。 ガイドさんの口から「アッピア街道」や「ポンペイ」の名が出てきて、懐かしかった。 ローマ帝国の道はみな石畳であり、その石畳の道も、当然磨り減っている。 |