西宮に漂う馥郁(ふくいく)たる文学と酒の香り

〜「人のよい山羊」と宮水発祥の地をゆく〜

2011年5月14日(金)

001

阪急神戸線に乗って夙川駅で降りたのはさくらの季節だった。夙川沿いに苦楽園まで歩いたのだった。 今回はうんと海側に寄った阪神神戸線で阪神西宮駅に降り立った。本当に、文学と酒の香りがするのだろうか?

ところで、今回のイベントとは何の関係もないが、地図に見えている阪急今津線が映画『阪急電車』の舞台である。 こんなにも近くにありながら、まったく違ったドラマが展開していることが不思議だ。



002

西宮神社(えべっさん)から始まり、西は夙川公園、南は御前浜公園(香櫨園浜)、東は宮水発祥の地まで 割りとよく歩いたと思う。これまでのガイドさん以上に、歯切れよくしゃべる方で、足も思ったより速い。 それだけの広さを持ったコースだったように思う。



003

西宮神社と表大門(赤門)。表大門は豊臣秀頼の寄進によるものという。その表大門と総延長247mの大錬塀は国の重要文化財に指定されている。 素朴な概観の大錬塀は室町時代のものとある。阪神大震災で被災したが、旧来の技術を用いて再現された。



004

本えびすの1月10日午前6時より、表大門の開門とともに走り参りを行う習慣があり、福男を選ぶことで有名な神社でもある。 写真はその走り参りの道である。2つの大きなカーブをどれだけう上手くこなすかで、勝敗が決まるようだ。



005

作詞家岩谷時子さんと村上春樹氏の通っていた浜脇小学校である。 岩谷時子さんはわれわれにはお馴染みの人で、その代表作は、ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」や加山雄三「君といつまでも」である。

京都で生まれた村上春樹氏は父(甲陽学園の国語教師)の勤務の関係で、西宮に移ってきたようだ。 その浜脇小学校もマンモス校であった訳で 「人のいい山羊」とともに香櫨園小学校への集団転校を余儀なくされたようだ。 中学校は芦屋にあり、地元の進学校、神戸高校から早稲田大学へと足早にこの地を去っていったようだ。

ただし、幼いころに遊んだこの西宮のことは、彼の作品の随所に出てくるらしい。あはは‥本屋さんで立ち読みする事を目論んでいる。



006

元「松竹梅酒造」の酒蔵であったとか、現在は何のかかわりもない、ただの木材置き場となっていた。 この建物の南側の通りを「酒蔵通り」というが、この他に酒蔵などひとつも見ていない。



007

夙川沿いの道を南に歩いた。桜の頃もいいだろうが、新緑の頃もなかなかいいと思った。 自然がすばらしい、静かな散歩道コースとして推薦したいところだ。



008

夙川に架かる葭原橋である。海に近いせいかどうか、川底も綺麗で、水も透明である。 本来なら「よしはらばし」と読むはずだろうが、橋の欄干には「あしはらばし」となっている。 桜の名所であり、春樹少年の遊び場でもあったようだ。



009

対岸にそびえる病院が西宮回生病院である。『火垂るの墓』に登場する病院である。



010

西宮砲台である。勝海舟の献策で今津、西宮、和田岬、舞子に巨大砲台が造られた。 一度、試しに撃ってみたところ、砲煙が立ち込めて何も見えず、まったく実戦に向かなかったという話である。 高さ12m、周囲53mもある無用の長物だが、国の史跡に指定されている。



011

西宮ヨットハーバーである。ここから堀江謙一が、わずか5.8mのヨット「マーメイド号」で出航した。 94日かけてサンフランシスコまで渡り、世界初の太平洋単独無寄航横断に成功した港である。 新西宮ヨットハーバーが完成した今となっては、こじんまりとしたヨットハーバーに過ぎない。

当時の日本のマスコミは蜜出国の犯罪者扱いだったが、サンフランシスコ市長ジョージ・クリストファーは 元大統領アイゼンハワーに相談したようだが、 「コロンブスもパスポートを持っていなかった」と入国を許可し、名誉市民の称号も与えたようである。 その決断こそ、称えるべきものである。 前例に従うだけが能ではない。新しい事態にいかに対処するかは、いつの時代にも問われている。



012

日本人が初めて建造、居住した洋館(旧辰馬喜重郎邸の案内)



013

洋館の位置と白鹿クラシックス。「クラシックス」とは「蔵がSIX(6つ)」の意味だそうだ。



014

白鹿記念酒造博物館



015

宮水発祥の地碑



016

樽を積んだ大八車を通った道の敷石は、こんな風に磨り減っている。記念碑として立てるあたりが斬新であると思った。 ガイドさんの口から「アッピア街道」や「ポンペイ」の名が出てきて、懐かしかった。 ローマ帝国の道はみな石畳であり、その石畳の道も、当然磨り減っている。