「異文化のまち・コリアタウン」(大阪あそ歩)

2011年4月21日(木)

コリアタウンへ行くのは、かれこれ3度目ということになります。 行く度に新しい発見があるわけですが、同時に、何度行っても一からの復習なんてのもあります。

いつものように、「つるのはし跡」を見て、御幸森(みゆきのもり)天神宮を訪れました。 地元の史跡や新平野川などは省略です。 猪飼野新橋だけは省略してほしくなかったのですが、仕方ありません。 新平野川は今川や駒川が合流する川なので、少々思い入れがあるからです。

鶴橋本通商店街では、司馬遼太郎氏が元住んでいた家なども教えてもらいました。 元警察署だったところがアパートとなり、今は廃墟となってしまったところも紹介してくれました。 商店街側に入り口がありますが、路地を入ったところ(側面)から、その異様な光景を見ました。 赤い煉瓦の塀(壁)が朽ちてきて、しかも継ぎ足してありました。 残念ながら、内部に入ることはできません。 「警察アパート」というのでしょうか、まもなく取り壊しのための工事が始まるとのことです。 この建物の中で、ある撮影会が催されたとも聞きましたが、修理しながら保存するという粋な計らいにまではいたらなかったようです。



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駅に設置してある地図はたいてい上が南になっている。 要は慣れだと思うが、上が北になっている本来の地図に変えてほしいという気持ちは揺るがない。 青色表示の「桃谷駅前商店街」を通り、「みゆき通中央商店街(生野コリアタウン)を目指す。 最後は「鶴橋本通商店街」からJR鶴橋駅に向かう。



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桃谷商店街

桃谷駅から疎開道路(太平洋戦争時に爆撃の延焼を防ぐために建物を疎開して作られた道路)まで続きます。 創業50年以上を誇るイカ焼き発祥店「桃谷いかやき屋」など下町風情が満載の商店街として親しまれています。 途中で交差する猫間川筋の猫間川(現在は暗渠化)は「高麗川」が訛ったものという説があります。(大阪あそ歩パンフ)



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「つるのはし跡」

文献上、日本最古の橋だそうです。この石碑が建っているところが、かつての平野川筋です。 かつての石橋に使われていた石柱が、石碑の周りに4つ建てられています。



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元禄14(西暦1701)年の平野川・大和川絵図の一部です。 地図の左には、平野川筋に「鶴の橋」、その上(東側)に「猪飼野村」とあります。 現在は「猪飼野」という由緒ある地名はすべて、まちから消えてしまいました。



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「鶴橋」の地名の由来。説明するよりは、これを読んだほうが正確です。



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御幸森(みゆきのもり)天神宮拝殿は、登録有形文化財(建造物)です。



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灯明台 : 元和2(西暦1616)年のもの



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この地は、そのまんま「松下幸之助起業の地」です。



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『難波津に咲くやこの花冬籠り 今は春べと咲くやこの花』と歌われている詩は、 1600年程前の渡来人・王仁(わに)博士が仁徳天皇の即位を春の到来になぞらえて祝い、贈った詩とされています。 コリアンタウンならではのハングル歌碑です。



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この歌碑が建てられたのは、2009(平成21)年10月ということです。 ほんの2年前で、わたしにとっては初めての出会いということになります。



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御幸通商店街(西・中央・東)がコリアタウンと呼ばれています。横幕は韓国では一般的です。



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ふと立ち止まって、皆さんが買い物をするまで待ってくれました。



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ホットク一枚100円なり。



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鉄板で焼くというよりは、油で揚げるお菓子のようです。



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ちょっと有名な「流れる千年」。一階の店舗では韓国製の多くの民具を売っています。



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コリアタウンを出て、鶴橋商店街に向かう途中です。広大な高台を独り占めするかつての庄屋さん宅です。階段を上ったところに玄関があります。



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鶴橋本通商店街にある、このお店がかつての司馬遼太郎が子どものときに住んでいた住宅(お店)です。



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迷路のような鶴橋商店街の一角です。チョゴリ地蔵という名がついている地蔵さんがありました。