大依羅神社と依羅池址

2011年4月14日(木)

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とりあえず、いつもの大和川堤防に出て、「行基大橋」までやって来ました。 上流の「下高野橋」方向を眺めると、桜並木と堤防の菜の花が目立ちました。桜は、すでに散り初めの時期に入っていて 桜吹雪が上手く撮れないものかと期待しましたが、たぶん私の腕とカメラでは無理だろうと諦めました。



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とうとう新しい道に足を踏み入れてしまいました。堤防の上は車道になっていたので、堤防に沿うように適当に西を目指しましたが、 ぴったり「大依羅(おおよさみ)神社」に辿り着きました。いやはや、われながら、ツキがあったようです。 (最終的に)府立阪南高校さえ見つかれば何とかなると安易に考えていたのですが、ともかく見事なものでした。



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小さな児童公園の隣に、「大依羅(おおよさみ)神社」の鳥居がありました。



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本殿でしょうか。古い歴史を持つ立派な神社にしては、わりと質素だと感じました。

古代豪族・依羅吾彦の祖神、建豊波豆羅和気王と、住吉三神をご祭神としています。式内社で、古くから住吉大社に次ぐ扱いを 受けていた神社ですが、南北朝時代に依羅氏が滅び、神社も衰退していきました。かつて神社の前には「依羅(よさみ)池」と 呼ばれる池があり、古代朝廷直轄の耕作地「屯倉(みやけ)」が置かれていたという記録もあります。あびこ観音や大依羅神社 の由来を鑑みると、依羅氏は百済や朝廷などにも深く関係した氏族と考えられます。 (「大阪あそ歩まち歩きマップ集」参照)



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たくさんの御祭神に合わせて、各村の神様も合祀しているようです。



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南側の参道には桜が咲いていましたが、南側は大和川で、何もないところです。 左側(西)は府立阪南高校のメインのグラウンドです。 右側(東)もグラウンドですが、その所属についてはよく知りません。 いずれにせよ、もとは「依羅池」の一部だったはずです。



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公的な「依羅池址」です。ここから大和川とその南にまで広がる巨大な池でしたが、(新)大和川にそのほとんどを奪われました。 最終的に、この地(北)も、対岸の部分(南)も埋め立てられて、完全に失われてしまったわけです。

崇神朝の記録に「依羅池を作る」とありますが、仁徳朝説、推古朝説もあり、その起源はよくわかっていません。ただ 日本でも一二の歴史の長さを誇る最古級の人工池であることは間違いありません。かつては10万坪の大きな灌漑用池で したが、江戸時代、大和川の付け替え工事によって、池の2/3が大和川となりました。明治・大正・昭和にはまだ池の 面影は見られましたが、戦後の市街地化によって公園、学校に変わり、現在は全く見られなくなり、幻の池となりました。 (「大阪あそ歩まち歩きマップ集」参照)



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再び大和川堤防まで戻りました。河原に降りて上を見上げると、菜の花の向こうに桜並木が見えました。



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近鉄南大阪線の鉄橋。西から撮ると綺麗に写ることがわかりました。 太陽は既に西に傾いていたからですね。