歴史ウォーク

〜区民協働企画講座「加美地域の遺跡を訪ねて」〜

2010年12月22日(水)

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大阪市立加美東小学校「加美遺跡資料館」に展示されていた年表の一部です。 今回訪ねた加美遺跡の他に、区内の長原遺跡・瓜破遺跡・瓜破北遺跡などが登場しています。

「区民だより」に載っていた講座に参加したわけですが、 第一回は講義(平野区役所)、第二回は加美地域ウォークという本格的な取り組みとなりました。 どちらも、大阪文化財研究所の京嶋覚先生のお世話になりました。 ウォーキングも、歴史も、元々関心のあることでした。ちなみに、申し込み多数のばあいは抽選です。 当選の連絡がハガキでありましたが、こんなところで運を使いたくないというのもお分かりでしょうか? ほどほどにいい天気でしたが、後半は寒くなってきたのでダウンを着ていった甲斐がありました。 ウォーキングとしては短すぎたけれど、自宅から駅までの歩きで補いました。




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JR加美駅に集合したあと、加美東小学校へ移動しました。 ここの「資料館」に、加美遺跡関係の資料が展示してあります。



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最初に目に付く写真と展示品です。写真はこの小学校内の遺跡で、展示品は加美遺跡で発見された土器です。 土器は全て本物です。煮炊きに使った土器は平底のものから丸い底のものに切り替わっていきます。 薄くて、熱効率がとてもよくなっているそうです。



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竪穴(式)住居と高床倉庫跡と井戸があれば、人が住んでいたことは間違いありません。



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銅剣と銅の矢じり、どちらも複製です。鉄剣と同じ形をしています。



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加美遺跡を全国レベルで有名にした、かなり大型の方形周溝墓で、大きさは26m×13m、高さ3mもあります。 Y1号墓と名が付けられ、ここから23基の木棺が見つかっています。多数埋葬は、河内の方形周溝墓の特異性とされています。



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1時間余り「資料館」にお邪魔しました。次に、細田住宅調査地に辿り着きました。 ここでは、水路(古代流路)跡も発見されています。 奈良時代の終わり頃、(淀川・大和川の決壊で)大洪水に襲われたとのことで、難波宮からの遷都にも繋がったとのことでした。



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きんでん調査地です。お墓と畠状遺構が発見されています。



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企業団地調査地までやって来ました。加美遺跡の中心であり、石碑と案内板が建っていました。ここはよく車で通る道筋でした。

なお、この調査地からは、Y1号墓など、たくさんのお墓が見つかっていますが、(特筆すべきは) 前方後方型の方形周溝墓も数多く見つかっていることです。それは、後の前方後円墳にも繋がりますね。



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サプライズです。加美地域を歩いていた途中で、「まちゃみ」(久本)一行に出くわしました。 加美出身とのことで、里帰り(故郷紹介)でしょうか?  まちゃみの妹やまなかな(三倉茉奈・三倉佳奈)など、全部で6名の「芸能人」にたまたまですが、出会ったことになります。