蘇る古代大阪・瓜破台地ものがたり

〜旧石器から縄文、弥生、古墳時代の大阪を知る〜

(大阪あそ歩) 2010年11月24日



中高野街道を南に向かって歩いています。右手に見えてきたのが、瓜破天神社です。 「瓜破」という地名のいわれは、次の2つです。

(1)道昭法師が当地の庵で祈念の最中、天から光明のさしたご神体が降ってきたので、瓜を割(破)ってお供えした。 (2)弘法大師が高野山へ登る途中、この地を通り、水を所望したところ、住民が瓜を割(破)ってさしだしたことからこの名がついた。 (大阪市Webより)

弘法大師の因果応報のお話は有り余ることなので、どちらかというと(1)を採用したいですね。 ご神体(天神像)を氏神として祀ったのが瓜破天神社の起源とされています。 ちなみに、道昭は653年の遣唐使船で中国に渡って玄奘(三蔵法師)に学んだ高僧であり、行基の師に当たる方です。





瓜破天神社の境内です。紅葉した桜が気になりました。





瓜破東7丁目の道標です。大和川の渡河地点に置かれたのがこれです。 1704年の大和川付け替えによって多くの田地を失い、村は南北に分断されました。 現在も、大和川の南側の一部は「瓜破南」(大阪市)となっています。





道標の祠の中には、石の地蔵さんが安置されています。

右 かうや道 すぐしぎ山 なら
左 ひらの 大さか

と書かれています。





敬正寺(きょうしょうじ)にある石仏2体に初めて対面しました。 向かって右側が大日如来です。とってもスッキリとして格好よく見えます。 左側は、格子の影で縞模様になっていて見にくいですが、阿弥陀如来です。





瓜破会館の中の展示です。航空写真と古地図が重ねてありました。 この地図は、大和川付け替え前の「1688年の東瓜破村下絵図」に間違いありません。別の文献で確かめました。 瓜破台地にある3つの谷のうち、西谷と東谷が分かりますが、馬池谷はこの地図では不明です。

中高野街道辺りから西をみるとわずかずつですが、下りになっています。台地から降りていくことになります。 自転車を漕がなくてもいいそうです。





館内には、瓜破遺跡で発見された土器などの遺物や古民具が展示されています。 初のお目見えでした。下段の黒っぽいのは、大陸伝来の須恵器です。





霊園の中にある護摩堂山古墳。一辺10m、高さ1,5cmの方墳のように見えますが、 発掘されていないので遺物はなく、寺院堂塔の基壇という説もあります。 直ぐ近くに花塚山古墳があります。