偉大なる大陸文化の伝承地・四天王寺

〜ベルリンの壁から大阪関帝廟まで〜

(大阪あそ歩) 2010年10月16日



天王寺公園前の「交番」

ぞうさんの姿をしています。なかなかユニークな建物で、可愛いです。





竹本義太夫生誕の地

標柱にヒビが入っていますが、これは車が突っ込んでできたものです。交通事故の犠牲者なんですね。

竹本義太夫は慶安4(1651)年、天王寺村の百姓家の生まれです。独特の音節「義太夫節」を産み出し、やがて 道頓堀に竹本座を開き、近松門左衛門を座付き作家として迎えて、人形浄瑠璃を始めると隆盛を極めたようです。





「ベルリンの壁」(統国寺)

聖徳太子の創建と伝えられています。もとは百済古念仏寺と名付けられ、推古天皇の帰依により厚い保護を受けたようです。 昭和44(1969)年に在日本朝鮮仏教徒協会の傘下に入り、「統国寺」と改名されました。1989年の「ベルリンの壁」崩壊後、 この壁が切り取られて、オークションにかけられたそうです。信者から奉納されたとのことですが、統一への願いが込めら れています。





阪口楼

普茶料理を出す老舗料亭が統国寺の門前にあります。普茶とは「普(あまね)く茶を施す」という意味です。 中国式の精進料理が原型で、仏事の終了後に僧侶や檀家が茶を飲みながら話し合う食事のことです。





熊野信仰(堀越神社)

堀越神社の祭神は聖徳太子の叔父で、暗殺されたことでも知られる崇峻天皇です。一生に一度だけ願いが叶うということでしたが、 その願いは後々に残しておこうということで、願をかけるのはやめました。平安時代に流行した熊野詣のときに、淀川の渡辺津 (現在の天満辺り)にあった第一王子(窪津王子)が、やがて、この堀越神社に合祀されたそうです。それ故に、 「熊野第一王子之宮」は他の王子神社と比較すると、とてもひっそりとしています。





庚申堂(庚申信仰発祥の地)

庚申信仰とは、もとは中国の民間道教で、「人の体内には3匹の虫がいて、庚申の夜に眠っている体から抜け出して、 人間の罪過を天帝に告げて、それによって寿命が決められる」ということです。 そのために、昔の人はその虫が抜けられないように庚申の日に徹夜したそうです。 そうすると閻魔大王に悪事がばれないとか‥。

四天王寺庚申堂は、京都八坂、東京浅草と並ぶ日本三庚申堂の一つ。 1945年空襲によって焼失し、現在の庚申堂は千里万博の休憩所を移築したものです。 現在でも、新年最初の庚申(かのえ さる)の日、「初庚申」の縁日は多くの参詣者で賑わっています。





四天王寺の名水

江戸時代に「清泉にして甘味あり、四天王寺名水の一つなり」という記述が残っていますが、現在は使われていません。 濁っていました。





竹本義太夫墓所(超願寺)

ここでお線香をあげました。初めに渡されたライターは(そのまま)お持ち帰りとなりましたが、使い道がありません。





四天王寺南門

いつも門前を車で通るのですが、ここを訪れるのは初めてのことです。南休憩所を利用しただけで、特に、寺の説明はありませんでした。





久保神社

聖徳太子が四天王寺を建立したときに、その守護として七宮を造ったそうで、その一つです。 巨大戦艦を守る駆逐艦のようなものでしょうか?





大阪関帝廟(清寿院)

正式には「黄檗宗 白駒山 清寿院」といいます。中国僧・大成和尚が、明和元(1764)年に開山しました。 横浜関帝廟(1873)や神戸関帝廟(1888)よりも古いのが自慢のようです。





四天王寺東門

東門から四天王寺境内に入り、亀の池、石舞台、六時堂を眺めました。 西休憩所の外でアンケートに記入して、今回の街歩きは終了です。 五重塔を眺めたあと、極楽門を通って、地下鉄「四天王寺前・夕陽丘」に向かいました。