「三内丸山遺跡」探訪

2006年8月19日

是非とも行ってみたかった憧れの遺跡です。ずっと以前、大阪の「三内丸山遺跡」展で、その概要を見たことがあります。 場所は南港のATCだったかと思いますが、本物には適わないと思います。
昨年、弥生時代を代表する吉野ヶ里遺跡(佐賀県)を見学したばかりなので、次は三内丸山遺跡(青森県)というわけです。 実は、中国の東北(満州)に行きたいと思っていたのですが、はからずも実現が難しくなり、日本の東北に切り替えることになってしまいました。
日本の東北も2年連続で、今回は花巻空港を拠点にレンタカーで自在に東北を回るという旅になりました。 ならば、三内丸山遺跡は欠かせないでしょう。花巻空港(岩手県)からひたすら東北自動車道を走りました。約2時間でこの遺跡に着きました。
縄文時代のくらしに関わって、うで輪、ヒスイのペンダント、ポシェット、石皿が少々気になります。本物を見たいと思いました。






「三内丸山遺跡」入口

右手が「縄文時遊館」の入口で、 「縄文の丘三内まほろばパーク」や「ピクニック広場」へもここからスタートです。 ちなみに、驚くべきことに、駐車場も、パークへの入場も全て無料です。 働いている方々の給料はいったいどうなっているのか、心配しました。 13:00からのボランティアによる案内を利用しました。







「縄文の丘三内まほろばパーク」遠景

復元された竪穴住居群や掘立柱建物が見えます。 これから、向こうまで歩いていきます。







南盛り土(みなみもりど)

生活の廃棄物や排土・残土が1000年間積み重ねられています。 大量の土器の他に土偶やヒスイ製の玉も出土しています。







竪穴住居(想定復元)1

茅葺住居。 もっともポピュラーなものでしょうか。 明かりを採るように工夫してありますから、中はうす明るいですね。







竪穴住居(想定復元)2

土葺住居。 断熱効果が高いようです。これは、初めて拝見しました。







竪穴住居(想定復元)3

樹皮葺住居。 クリやコナラの樹皮を使っているようです。これも、初めて拝見しました。







掘立柱建物(想定復元)

地面に穴を掘り、柱を立てて造った建物です。 高床の倉庫として復元したようです。







谷(泥炭層)

ゴミ捨て場です。 水分が多く空気からさえぎられていたので、土器、石器の他に通常では残らない 木製品、動物の骨などが良好な状態で残っていたそうです。







北盛り土(きたもりど)

>生活の廃棄物や排土・残土が1000年間積み重ねられています。 大量の土器の他に土偶やヒスイ製の玉も出土しています。







子どもの墓(埋没土器)

子どもの遺体は土器に入れられ、埋葬されました。 多くの土器の中にはこぶし大ほどの石が1〜2個入っていたそうです。







くりの木

くりが栽培されていたというのが定説ですから。







大型掘立柱建物跡

かなり大きな穴で、直径約2mもあります。 中には直径1mのクリの木柱が入っていたそうです。 6個の柱穴の中心の間隔はすべて4.2 mとなっています。 当時、長さの基準があっとものと推測されています。







大型掘立柱建物(想定復元)

この遺跡のシンボルになっている建物の復元です。 大型高床建物説もありますが、望楼、見張り台、トーテムポール説などいろいろあるようです。 復元に際して、なぜ、この高さにしたのかが謎です。







大型竪穴住居(想定復元)

長さ32 m、幅9.8 mのこの遺跡最大の規模です。 入ってみた感じで言えば、かなり巨大でした。







大型竪穴住居(想定復元)の内部

共同作業所、集会所として使用したり、きびしい冬期間の 共同家屋などいろいろな説があるそうです。


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