百舌鳥古墳群  2021年12月8日

堺市博物館&みくにん広場を求めて、現地を訪れました。(7km)


JR百舌鳥駅に着いたところにあった地図です。南に向いていたので、地図も南が上になっています。



電車が来て踏切が閉じられたので、陸橋を上りました。上から大山古墳(仁徳天皇陵)が見えるかな‥と期待しましたが、この程度です。



帆立型古墳である収塚(おさめづか)古墳

削られた前方部は茶色と緑のブロックで表示されています。大山古墳の陪塚(ばいちょう)の一つですが、こじんまりとしていて、ブロックでごまかすなど、かわゆいものです。



なんと、仁徳天皇像だそうです。どこから顔を引っ張り出したのか、不思議なものです。

天皇がこの地を訪れたとき、突然野原から鹿が走り出て来て、倒れて死んだそうです。その耳から百舌鳥が飛び去ったとのことから「百舌鳥耳原」と名付けられたとのこと。

「耳原橋」は見たことがありますし、大山古墳は「百舌鳥耳原中陵」とも言います。「百舌鳥耳原北陵」は田出井古墳(反正天皇陵)、「百舌鳥耳原南陵」は石津ヶ丘古墳(履中天皇陵)となります。



堺市博物館前に鎮座しています。武野紹鴎は千利休の師にあたります。出身は大和です。



おりしも、今日は真珠湾攻撃の日でした。




大塚山古墳から出土した鎧甲です。




ニサンザイ古墳の橋桁です。現在は橋は架かっていないと思います。



大山古墳(仁徳天皇陵)の前方部から出土した石棺のレプリカです。仁徳天皇のものではありません。津堂城山古墳の石棺に似ていますが、それには敵いません。



黄金の甲(レプリカ)




黄金の鎧(レプリカ)

このあと、時間が来たので、古墳シアターを鑑賞しました。約200インチの巨大スクリーンに映る映像は素晴らしいものでした。必見の価値があります。初めて見たような気がします。



堺市博物館で紹介された別のVR作品を見に来ました。ここも見どころですが、古墳の説明は博物館のシアターの方が勝っていると思います。



何度も歩いていますが、墳丘長486mを一人で体感したかったわけです。あっという間に通り過ぎました。いつもここから三国ヶ丘駅に向かいます。



つい中央環状線と勘違いしてしまいますが、道路幅が違いますね。国道310号線です。



かつて知りたる「南海/JR 三国ヶ丘駅」です。三階建物の屋上にあるのが、「みくにん広場」です。三国ヶ丘「みくにがおか」と仁徳「にんとく」から「みくにん」が生まれました。



電話ボックスの上に布団太鼓あり。




2階南海改札の隣に、「みくにん広場」への案内がありました。



階段を上ったところに広場がありました。




大山古墳の北側です。二つの陪塚が邪魔になっています。手前が源右衛門古墳、その右が大安寺山古墳です。



大山古墳(仁徳天皇陵)の南側です。建物が邪魔をしています。

堺市役所の最上階、21階の展望台(地上80m)から眺めたことがありますが、南の石津ヶ丘古墳(履中天皇陵)とくっついているような感じで、ちょっとがっかり感が残りました。

眼にはできない大きさということでまとめましょう。やはり、わたしには肉眼で全体が見える「ニサンザイ古墳」が理想的です。



11:14の快速で帰ります。。