孫娘はわが家に  2020年4月21日


保育園は特別な事情がない限り登園できなくなり、孫娘はわが家に来ています。合間を見つけて、歩きに行ってます。 巣を根こそぎ奪われたカラスは、懲りずに新しく巣を作り始めました。その根性だけは見習いたいものです。 (5km)



キリシマツツジ




はこべら




シャボン玉と戯れる孫娘




土佐藩の取り調べではなく、聴聞(記録のために話を聴くという性質のもの)は、藩の重臣である吉田東洋の配下の吉田正誉に任された。絵師で新進の知識人だった河田小龍がその手助けをしたわけです。それは「漂客談奇」となり、藩主山内豊信(容堂)のみならず藩の上層部の必読書となり、写本が他藩の大名たちに提供されたそうです。 

海外事情に興味がある小龍は藩の許しを得て万次郎を自分の家に住まわせて起居をともにしながらお互いに言葉を覚え、情報を交換しようと考えました。のちに「漂巽紀略」として実を結ぶ独自の取材を続けたのです。巽(南東)の方角に漂流した記録のあらまし、ということです。まず藩主がそれを手にしたとき、小龍28、万次郎25、山内豊信も25でした。丁度、ペリーが浦賀に来た年(1853年)のことです。

どちらも写本や異本が出回り、アメリカ情報が巷にあふれるようになったとのことです。