太子快道C  2019年3月27日


恥ずかしながら坂道が苦手なので、下山のみ徒歩のプランにしました。 恩智道を登るのを止めて、ケーブルで高安山駅(419m). に登り、近鉄バスで信貴山門に向かいました。 朝護孫子寺(信貴山寺)を観たあと、延々と続く下り坂を降りてきた次第です。それはそれで、脚に応えましたね。 信貴山門に着いてからJR王寺駅まで、8.5km / 2時間14分 ということになりました。




信貴山口駅からケーブルで高安山(419m)へ。





近鉄バスが待っています。





開運橋を渡ります。




手前に山門があるのですが、この鳥居も朝護孫子寺の入口です。





剱凱護法堂(けんがいごほうどう)
一番にここに詣り、無病息災を願いました。元々、醍醐天皇の病を癒したことから「朝廷を子々孫々にわたって護る寺」として、朝護孫子寺となりました。当寺の高僧が毘沙門天に病気平癒の祈願をされ、剱凱護法の使者が天皇の枕元に現れ、霊感を授けられたとのことです。難しくて分かりかねますが、有り難いことでございます。




聖徳太子が物部氏との戦いのとき、この山で祈願されました。四天王のうち毘沙門天(=多聞天)が現れ、勝軍の秘法を授かったということです。それが寅の年、寅の日、寅の刻だったので、寺のあちらこちらに寅がいて、いつしか阪神タイガースの守り神にまでなっているようです。戦いのあと、信ずるべし、尊ぶべし山であることから「信貴山」という名になったそうです。




本堂までやって来ました。





赤門を潜って帰ります。





大寅がいます。





信貴山観光 i センターで、ぜんざいを頂きました。





山門を潜ると、千体地蔵が待っていました。





ここが最も危なっかしい下り坂でした。いのししも出るそうで、片手に手頃なサイズの石を持ったまま歩いた次第です。何事もなく、無事に降りることが出来て、ほっとしました。




ヤマザクラでしょうか?





土筆です。





城山台(三郷町)




よく分かりませんが、サクラ系です。





松永久秀は、信貴山(437m)に城を築いていました。





見るからに綺麗な大和川と多聞橋。





近鉄王寺駅とJR王寺駅があるから、

斜めに「王寺駅 Oji Station」の看板あり。



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太子快道ウォークB  2019年3月20日A


10.8km / 2時間35分

JR加美駅〜近鉄恩智駅

ほとんどが歩いたことのある道でしたから、迷わず歩けたと思います。久宝寺駅を過ぎたところで、長袖シャツにおさらばしました。




JR加美駅すぐ東に菅原神社あり。境内に入る。





右下の道は、よく車で通ります。こんなところに歩道があったんだ!





中央環状線を跨ぐ道は近畿自動車道の下を通る。





わたしには、ここが久宝寺のランドマークなり。




WC休憩。

成安道頓の扱いが余りにも雑なセンター




蓮如上人(久宝寺御坊=顕証寺)





JR久宝寺駅の地下道を潜る。





ここから南下する。





大聖勝軍寺(太子堂)の東門から入る。





「守屋の大軍に囲まれ絶体絶命のとき椋の大木真二つに割れ太子を包み九死に一生を得て太子最後に四天王の加護を祈り守屋を倒す」(案内文)




植松町の町並み





渋川神社





JR八尾駅を東へ。




踏切を渡って、長瀬川遊歩道を歩く。





この公園で昼食休憩&WC。眼鏡を忘れて引き返すも、無事に収容。




南北に長い公園を北の端まで歩く。





公園の真東に由義神社。 弓削道鏡がらみで造られた、称徳天皇の行宮が元になっている。




楠根川




正面に八尾市立刑部小学校あり。

生駒山地(高安山)が間近になってきました。




正面は金光八尾中学校・高等学校なり。

生駒山地(高安山)がいよいよ真近になりました。




玉串川(長瀬川と分かれたのですが‥)





KINTETSU ONJI STATION がゴール



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太子快道ウォークA  

2019年3月12日


7.9km / 2時間40分

JR 東部市場前駅からJR 加美駅まで。かつて知りたる町なんですが、3回ほど間違えてしまいました。



こんな道、知らないぞ‥というような道です。楽しいです。東部市場駅から線路沿いに、東へ進みました。




こんなところに地下道があったんですね。右折します。




ここは今川(東住吉区)、となりは西脇(平野区)





昔々は雨が降るたびに運動場が池になったものです‥





南海平野線「西平野」駅のあった辺りは背戸口公園となり、線路跡が残されています。(ただし、こんなに曲がっているはずはないんですね‥)




そのまま東に進むと内環状線(国道309号線)となりますが、さらに直進すると新たなプロムナードが登場します。再び、南海平野線跡です。




近ごろは「サンアレイ」と言うのでしょうか?  平野本町通商店街の方が分かりやすいです。




小林新聞舗本店だったところ。(登録有形文化財) 今は流町に引っ越しています。




全興寺・商店街入口。もう少し進んだところにある梅月堂は「お休み」でした。




全興寺本堂。実に見事な、WC完備の寺でございます。




右 ふぢゐ寺 大峯山 かうや

左 當社 熊野権現 祇園宮(杭全神社でしょ)





大念仏寺





JR平野駅を右折する。





こんな道を通るんですね。(知りませんでした)

なお、パチンコ屋はなく、ひろクリニックとなっています。




マンション群(メガロコープ)の間から、懐かしの校舎が見えます。




平野郷環濠跡(水源はどこからなんでしょう?)

調べてみたところ‥

環濠は杭全神社の管理ではなく、大阪市の管理だそうです。新たに注水するものと循環させた(環濠の)水の両方を使っているようです。大阪市の管理だとすると、さては、平野下水処理場の高度処理水を運んできているのではないか‥その可能性は高いと思われます。

今川、駒川、細井川はいずれも、平野下水処理場の高度処理水を利用しているからです。




杭全神社横の貴重なWC





瑞興寺とな‥





恵浄寺:地元の方に教えて頂きました。




百済橋をわたらず、手前(平野川左岸)の道を歩いてしまいました。しばしばウォーキングマップの注意書きを無視してしまいますが、許容範囲内だと思っています。

かも(鴨)の多い川です。




奥田家の南を通り、北に回って来ました。鞍作の豪農で、庄屋だったようです。中が全く見えないわけですが、でっかいことだけは明らかです。




がんこ平野郷店は奥田家の建物の一部を利用しています。よく覚えていないのですが、このお店を利用したことがあったような、無かったような?




今日のゴールです。天王寺経由で帰りました。

帰宅してみると、2万歩を越えていましたから、結構歩いたと思います。朝には土筆を探しに大和川に行ってきました。見つけましたとも。。

(本日の合計14km)



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太子快道ウォーク (1)  2019年3月11日


西除川ウォーク、下高野街道ウォークを残したままです。またもや、ウォーキングの大先輩である小西さんのマップを元に歩いています。暖かくなるには違いないけれど、まだ寒そうな気配の今日(午前中)は、近場の市内歩きを選択した次第です。まさかとは思いますが、歩き始めたときから小雨模様となりました。(1)及び(2)の途中までの予定でしたが、思ったよりも時間がかかり、雨模様が続くので(1)だけで終了することにしました。最寄の駅まで来たときに雨が強くなり、濡れながら帰宅したのが失敗でした。春雨にはまだまだ早すぎたようです。

大阪メトロ「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅からJR「東部市場」駅まで6.5km、時間は1時間50分でした。一度だけ躊躇することがあったのですが、何よりも、市内ゆえ、信号で立ち止まることが多かったことが影響しました。写真を撮ったり、時間や距離をメモする時間も必要でしたね。



なにわ漬け西村




ちょっとだけ谷町筋に出て、金剛組ビルをゲット!





毎度の西門から入る。





六時堂




東大門





五條宮前




真田丸のジオラマを見に行ったことのある

天王寺区役所





東側の道をしばしば通り抜ける

夕陽丘高等学校の南の道を歩く。





今まさに環状線の電車が通過しようとしている

JR桃谷駅




長〜い長〜い桃谷本通商店街





つるのはし跡

むかし、このあたりに鶴がよくとんで来たところから、いつのまにか鶴橋と呼ばれるようになった。(生野区役所の説明)




不思議なカーブ道は平野川を埋め立てた跡の道

大阪市立鶴橋中学校あり。





西俊徳地蔵尊

1750年ごろより祀られていたとのこと。お堂の前がいわゆる俊徳街道の道です。河内高安の長者の嫡子、俊徳丸が四天王寺へのお参りの際に休憩されたという言い伝えがあるそうです。(説明文あり)




御勝山公園





御勝山南公園

折口信夫(釈迢空)の文学碑





舎利尊勝寺

昔、生野長者の子は口がきけなかったので、聖徳太子におすがりしたところ、子どもの口から仏舎利3粒を吐かせ、話せるようにしたという。太子は3つの舎利を、法隆寺・四天王寺と生野長者に分けて授けられた。長者はその屋敷内に一寺を建立、舎利を祭ったのが最初だとの伝承がある。(舎利尊勝寺の由来)




大阪市立生野小学校




生中橋(いくちゅうはし)





生中橋沿いに南下したところにある地蔵尊

やがて平野川(上流)が左(東)に折れる。





睦橋から南(上流)を見る。

左が平野川  右前が(駒川と合流した直後の)今川





合流地点は余り綺麗ではないけれど

かもたちが集まる。





雨も降っているし、時間も予定を超えたようなので、電車に乗る。

本来ならバスに乗りたいところだが、1時間に1本しかないので、バス停まで行くのも惜しいわけで‥