メインは今橋通でしたが‥  2016年11月7日


谷町4丁目からスタートして、谷町4丁目に戻りました。自宅から最寄駅までの往復と合わせて約8.4kmでした。

病み上がりが続いて、ふわふわ感が消えなかったのですが、ようやく昨日、今日と‥足が地に着いたように思われます。 とりあえず、全快ということにしておきます。




谷町4丁目で降りたのは、この碑が目的でした。「此界隈井原西鶴終焉之地」です。 他は読めるものではありませんが、嬉しいことに(ネットで)探せば教えて頂けるわけです。 谷町筋を挟んだ西側の槍屋町に住んで「日本永代蔵」「好色一代男」等の文芸を世に出したようです。

「難波俳林松寿軒西鶴 世辞 人間五十年の究りそれさへ我にあまりたるにましてや浮世の月見過ごしにけり 末二年 元禄六年八月十日五十二才」

「大晦日さだめなき世の定めかな」




「八軒家船着場の跡」碑は、天満橋交差点を西に向かった昆布処永田屋本店の店先にあります。 牧村史陽先生の説明と安藤広重画も欠かせません。




松屋筋と土佐掘通りが交わる天神橋交差点には、日本郵政グループ大阪ビルがあり、前島密の銅像が建っています。 「日本近代郵便の父」と呼ばれる立派な人ですが、「縁の下の力持ちになることを厭うな。人のためによかれと願う心を常に持てよ」が信条でした。




まっすぐ行くと今橋となり、斜めに渡ると「よしやばし」となる分岐点です。 上は阪神高速道路で、下は東横堀川です。




大坂美術倶楽部なる建物があり、その建物の南東角に「旧鴻池家本宅跡」とあります。 つまり、この界隈が大坂随一の金融街だったわけです。




ちょっと北にコースを替えて、さらに西に向かいました。 ビルの谷間の木造建築が「史跡緒方洪庵旧宅及塾」です。

住所は大阪市中央区北浜3丁目3番8号ですが、旧過書町丼池東入という地名もあったようです。 これはこれで分かりやすく、京都みたいですね。

師匠の中天游が「思々斎塾」を開き、弟子の緒方洪庵は「適々斎塾」を開いたわけです。略称「適塾」なり。




緒方先生の横顔もなかなかいいものです。この公園はたいてい、サラリーマンの休憩場所となっています。




ブラタモリ関連で足を伸ばしてみました。

太閤下水のあるところは中大江小学校ではなく、南大江小学校でした。そういえば、過去のイベントでは、松屋町界隈から向かったところでした。 なお、過去に2度ばかり太閤下水にお目にかかりました。普段はたいてい鍵がかかっています。 下水道だけではなく、谷頭(こくとう)まで尋ねるとは、さすが「ブラタモリ」だと感心しました。