九度山を訪ねる  2016年9月26日


真田の「赤備え」ってご存じでしょうか? 具足(甲冑や鎧・兜)、旗差物などのあらゆる武具を朱塗で統一した部隊編成のことで、精鋭部隊を示しています。 赤で統一した広島カープのようなものです。元は武田軍の飯富虎昌から始まり、彼の死後に山県昌景が引継ぎ、やがて真田や井伊が引き継いだようです。 いずれにせよ、最強部隊の代名詞でした。 その昔、黒澤明監督の「影武者」の戦闘シーンで、赤い軍団の強さを見せつけられたような記憶が残っています。衝撃的なシーンだったと思います。




六文銭のマークはありませんが、赤いだけでも高野山あるいは九度山行きが予想されます。 天下茶屋から急行で橋本に着き、そこで極楽橋行きに乗り換えるところです。




「真田の抜け穴」伝説有り。この穴を使って、大阪に向かったという説もあるそうですが、信じません。ただの、古墳の石室跡なり。




真田庵は、正式には善名称院という名の寺です。真田昌幸・信繁父子らが住んだ真田屋敷跡に造られたものです。ですから、真田屋敷らしきものを期待しても無理なようです。門の上に六文銭、屋根瓦にも六文銭あり。




真田昌幸の墓なり。

ちなみに、長野県上田市真田町長4646の長谷寺(ちょうこくじ)に、昌幸、幸隆夫妻(昌幸の父母)の墓があります。 実は、大阪の三光神社には、その長谷寺から贈られた真田石の上に幸村像あり。




寺の本殿でしょうか。一礼合掌なり。





九度山・真田ミュージアム:わたしはNHK「真田丸」を見ていないので、さほど興味はありませんでした。時々変わった演出があるそうで、気になるところが多々ありますが、今のところ放置します。




道の駅まで行きました。





柿といちじく‥重い荷物となりました。





向こう(北)に見えるのが和泉山脈、近ごろは和泉アルプスと呼ぶそうです。この山々も、大和川堤防から見えます。