平成27年度 第1回大阪・まち・再発見ふらりウォーク  2015年4月25日


大坂夏の陣400年「真田幸村と夢の跡」めぐり 約8kmのコースでした。 ポイントは17カ所もありますし、全てを網羅すると読みづらくなりそうなので、FACEBOOKでは省略します。 こちらで、まとめてみようと思います。 あはは‥何度か行ったことがあるところなので、しばしば、門前だけで、おさらばしました。 歩き切ることが肝心ですから。




「谷町四丁目」駅から出発して、1〜17のポイントを通って、17.安居神社のあとは、「大国町」がゴールです。 わたしは、17のあと皆さんとおさらばしました。「四天王寺前夕陽丘」駅まで行きましたが、最終的に「天王寺」駅に向かいました。抽選番号が無駄になりました。



  


1. 越中井

細川家の大坂屋敷跡。ガラシャが石田光成の人質になるのを拒否して死を選び、屋敷に火を放ちました。この井戸だけが残ったようです。


2. 大阪カテドラル 聖マリア大聖堂

細川ガラシャ像です。やはり、斜め前からの容姿がいいですね。


3. 玉造稲荷神社

豊臣秀頼は、ひ弱で優柔不断なイメージが植え付けられていますが、6尺5分(197cm)の大男であったそうな。威風堂々たる容姿であり、二条城でその姿を目の当たりにした家康はびびってしまい、豊臣家の滅亡を誓ったということでしょう。


4. 三光神社

真田の抜け穴を覗き込みましたが、左奥の方へ行けそうな気がしました。どう考えても、真田が掘ったものとは思えません。


5. どんどろ大師 善福寺

浄瑠璃「傾城阿波鳴門」で有名ですが、(あとで分かったことですが)大阪夏の陣の戦死者を弔うために建てられたとあります。


6. 心眼寺

幸村(真田左衛門佐信繁)の墓が去年10月に建てられ、わたしも開眼供養に立ち会いました。


7. 興徳寺

心眼寺の隣にある寺で、もと大阪城内にあったものを秀吉が移したとのこと。こいのぼりを撮らせていただきました。


8. 円珠庵・鎌八幡

契沖のお墓がある。榎の御神木に鎌を打ち込めば願いが叶うという言い伝えがあり、幸村も戦勝を祈願して「冬の陣」の大勝に繋がったそうである。夏の陣のときは、しなかったのだろうね。


9. 産湯稲荷神社

向かったのは「真田の抜け穴」と言われている井戸である。蓋がしてある、一方の側を取り去れば‥ということだが、水遁の術が必要ではないのだろうか。


10. 生國魂神社

この神社も大阪築城のため、この地に移ってきました。赤道病院のあたりから、まっすぐ西に「生玉表門商店会」の看板を見ながら、ここにたどり着きました。


11. 増福寺

薄田兼相の墓があります。冬の陣で失態を犯し、不名誉にも橙武者の汚名を。夏の陣では誉田の戦いで戦死しました。無理な戦いをしたと思われます。


12. 愛染堂(勝蔓院)

多宝塔は秀吉が再建。大阪市内最古の国指定重要文化財(旧国宝)です。愛染祭りから、大阪の夏祭りが始まります。


13. 大江神社

なんてたって、タイガース神社でしょう。熱烈なファンというわけではありませんが、近ごろの不甲斐なさは耐えられませんね。階段を使って下寺町に降りたため、愛染坂を使いませんでした。


14. 泰聖寺

天王寺七名水のうちの「金龍の水」が復元されていますが、飲めないそうです。


15. 清水寺

ここは、入口だけで省略しました。玉出の滝、清水の舞台共に行ったことがあります。


16. 増井弁財天

「増井の清水」も、上下二段(上段は武士、下段は町人)に分かれていたそうですが、現在は下段の屋形を残すのみだそうです。


17. 安居神社

「この銅像にお触れ下さい。そして、その徳を授かって頂ければ喜ばしく思います」(宮司)とあり、いろいろ触ろうとしましたが、控えました。ビリケンさんでも、びんずるさんでもないですから。。なお、幸村は、この地で討ち死にしました。5月7日が幸村の命日なり。

なお、最後に「天神坂」を上って谷町筋に向かいました。